フォトグラファー、ウェブデザイナー「かわはらひでお」のいわゆる業界コラム&エッセイ
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フォトグラファー、ウェブデザイナー「かわはらひでお」のいわゆる業界コラム&エッセイ

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フォトグラファー、ウェブデザイナー「かわはらひでお」のいわゆる業界コラム&エッセイ
 


■2002-02/11(Mon)関野さんのグレートジャーニー

 グレートジャーニーの関野さんがついにゴール。

 凄いです、詳しい事は、テレビや新聞等のメディアを見ていただくとして、自分でもやってみたい気もする、でも、まず、大変だろうな。それに、関野さんの凄いところは、写真をずっと撮ってらして週刊朝日で僕は何度も拝見してきましたが、とても素敵な写真だった。視点が観光写真の視点ではなくて、絵としてとても素敵な写真だった。

 外国、特に異文化に触れる事はとても大切だ思う。以下はアサヒコムから関野さんのコメントの引用ですが、こんな気持になって生きていきたいなと思う。


 訪ねた先住民の社会で共通だったのは「一番最低の人間はケチ。つまりモノをためこんでいる人」という価値観だった。大学探検部時代から20年以上通ったアマゾンの先住民はもとより、南東アラスカでは、富を築いた人は「ポトラッチ」という大宴会で散財し、逆に尊敬を受けていた。エチオピア・オモ川の少数民族コエグの社会には、妻をもらう際に必要な家畜や銃などの「婚資」が、最終的にすべてもたない人に行き渡る仕組みがあった。
 「競争し合うより分け合う、協力する。これは人間になって初めて出てきた。人間性とは何だろう」と考えさせられた。それだけにモノをより多くためこんだ人が尊敬され、力を持つ今の社会に行き詰まりを感じている。(アサヒコムより引用しました)


 読んでみて、そう言う意味では、かなり僕は先住民に近いように思うな・・・。


■2002-02/08(Fri) ゼロからの再出発??

N森A菜さん、復活、ゼロからの再出発、だって・・・、ゼロか?良い歌持ってるし、ファンも沢山いると思うよ。

 確かに報道(?)を見る限り制作サイドのスタッフウケは悪いみたいだね。この点はもしかしたら、僕よりも首藤氏の方がいろいろと知ってるだろうし、言いたい事も結構あるかもしれない。

 マスメディアがファンの視点から捉えていないだけの様な気がする。あ、僕はファンでも何でもないです。もっと言えば、自分がこういった業界にいるので、特にファンだとか好きだとかと言った見方ではなく、自分的に気に入った写真できそうなタレントさんというのはあるけどね、これがタレントさんが気に入るのと、ファンの方が気に入るのは全く別だったりするときがあって辛い、プロとしてその辺の距離感がとても大切な気がしている。

 N森A菜さんですが、以前、某女性誌の結構良いページのお仕事をいただいた事がある。その頃も業界的には、A菜さん、いろいろとあって、つき合っている彼がマネージャだった様に記憶している。こんな事がメディアに流れる事自体不思議だけど、当時、事務所にも属さずに、別業界の方がマネージャをしていたので、エグい出版社なんかA菜さんの写真集とか、ムック本だしてもきっと印税とか支払ってないんじゃないかな??

 それで、撮影のお仕事の時に、直前、前日だったかにA菜さんの出してきた条件、直前に条件を提示してくるなんて、交渉下手なのか、上手なのかわからないけど、その条件が、凄い。

・撮影はマネージャがする
・ライティングは、フォトグラファーの方がセッティングして欲しい。
・撮影機材一式、貸し出して欲しい。
・撮影には編集者とフォトグラファーの立ち会いは認めない。

 凄いでしょう。編集者は困ったのを通り越えて、怒ってたね、で、編集者と編集長の判断で撮影がなくなってしまいました。

 でも、実は、僕は感動してた。そこまでやるか??と言った感じで、そして、僕は許可しましたよ。是非、撮影していただきたかった。僕は全力で格好いいライティングをセットしますし、機材もフィルムも全て貸しますので、撮影して欲しかったな、正直に本気でそう思った。

 なんかこう、華やかだった頃の芸能界といった感じがしてね、つまり、僕なんかが知らない頃の、僕がテレビで見ていた頃の芸能界の感じがして、やっぱりこうだったんだ、みたいな、ん、思い出せば出すほど、撮影して欲しかったな・・・。


■2002-02/06(Wed)お互いに刺激。

 先日、久しぶりに作品撮りをした。昔は頻繁に作品撮りをしていた。やはり、撮影は継続してトレーニングしないと感が鈍る。

 今回は、去年僕が講師をしていたVスクールの生徒の友人だ、ニューヨークでHM(ヘアーメイク)の勉強をしてきて、本業はモデルだ。

 今、その仕上がりを見ている、良い感じにできた。本当はもっと僕の方から指示をだした方が良かったのでは?と言った反省も少しはある。

 でも、面白い事に昨今メールがあるので、そのVスクールの同期だった他の生徒に「作品撮り」をした旨、伝えると、必ず良い刺激になるようで、生き生きした文体のメールが帰ってくる。このままではいけない、と少しは感じているようだ。

 そうなんだ、このままではいけない、何かを創り出さないと、人に感じられる何か。これを見つけるのは永遠の課題だな・・・。

 思い出したけど、僕は一度も彼らに課題とか宿題出してない。


■2002-02/05(Tue)陽気に行きたいね。

 何というか、昨日の海老一染太郎師匠日お亡くなりになった辺りから、気が落ち込んでいる。こんな時というのは不思議と過去に参列したお葬式とかを思い出してしまう。

 約一年前に参列させていただいたお葬式は、劇作家のM原T春さんのお葬式だった。実は、僕はかなり前になるけど、ある本を書いた。一般の出版社から出版されて、あれよあれよと2万部くらい売れたように記憶している。これは出版社にとってはかなり売れた方の数字だ。

 ただ、僕はあの本の内容が嫌いだ、文章も嫌いだし、校正をしたはずなのに誤字脱字だらけだったのも腑に落ちない。最後の最後まで出す出さないで編集者との戦いだった。そこに、某テレビ局からドラマにしないか?といったオファーを頂いた。書籍の二の舞は踏みたくない。つまり、納得できない形で人様にお見せするのは嫌だった。担当のプロデューサの方やディレクタの方と話してみると、彼らも全く同意見で、ドラマは書籍とは違ったテイストにしたいと思っていた。もし、作家の方(つまり僕ですね)がこの本の内容通りでないと駄目だ、と言われたらどうしようかと考えていたそうだ。

 そして、ドラマ化するに当たって、誰に脚本を書いていただこうか?と言う事になって、これも3人の意見が怖いくらいに一致して、上記のM原T春さんのお名前が一番に上がった。ただ、当時彼(確かM原のオヤジとか呼ばれていた)は、スーパー売れっ子で何年か先まで、書くべき脚本のスケジュールが埋まっていて、幾らゴールデンで放映すると云っても、まず、書いてくれない。と言われていた。

 しかし、最終的にはM原さんが書いてくれる事になって、何度か飲みにも連れて行っていただいたし、いろいろとお話しする事ができた。当時のM原さんは今の僕と同じくらいの年齢だった。

 そんな彼が、昨年の2月に亡くなった。その時もショックだった、葬儀にも行かせていただいた。

 なんだか、こんな事も思い出してしまう。いかんね・・、こんなんではね、生きてる僕達が楽しくやっていかないと、何も生まれてこない。

 ふざけるな雪印(ちょっと、言ってみたかった)。


■2002-02/04(Mon) 師匠、お疲れでした

 僕の大好きなタレントさんというか芸人さん?かな、日本を代表するエンターテイナーの海老一染太郎さんがお亡くなりになった。来る日が来た、と言う感じだ。

 染之助染太郎師匠とは、かなり以前、そうまだ、お染めブラザースなんて呼ばれる以前に友人の結婚式で芸を披露していただいた。流石というしかないほど迄に、その場を一気に「お祝い」のテンションに高めてくれた、素晴らしかったですよ。

 もっと凄かったのは、その結婚式スタッフである僕達が企画した「かにいち染之助染太郎」として、前座をやらせていただく話を持ち込んだ際に、喜んで承諾いただき、なおかつ大切なはずの道具を、師匠達が、どうぞどうぞと、僕達素人にお貸し下さった。

 結婚式では、前評判で染之助染太郎さん達がいらっしゃるのは知れ渡っていたで、僕達の前座は一瞬わいたけど、力及ぶわけでもなく困っていたところに、真打ち登場で、結婚式はドッと盛り上がった。

 そして、もっと感動したのは、結婚式は新郎新婦の方々が主役というのを凄くわきまえていらして、染之助染太郎さん達は出も素晴らしいですが、サッとひく引き際も流石でした。

 元々かなわない事とはわかっていましたが、僕のお葬式には染之助染太郎さん達にいらしていただき、いつもより余計に回していただきたくも思っておりましたが、やはり、無理でしたね、残念。

 そして、染太郎師匠お疲れでした。ありがとうございました。


■2002-02/03(Sun) 飲み屋のハードヒッター2

 ああ言えば、こう言う女史が、ドーも昔は体重70キロあったらしい、先日、某チェーン店系の飲み屋で、「今はもう(70キロ)ない」と言っていた。

 笑わしてくれるね・・・、僕が数年前は70数キロだったし、その居酒屋に同席したテニス仲間のO氏は60キロ台だったはずだから、あ、ちなみにO氏は僕の同じ身長ですが、それを考えると恐ろしいサイズだったんですね・・・。

 さすがに、ああ言えば、こう言う女史だけあって、何でも実家が最寄りの駅から9キロ(体重ではありません)くらいらしいのですが、何でも「駅なんか使いますか?(強気)」だって。

 怖いね、怖い。同じA県出身で、ああ言えば女史(だんだん、キーボードを打つのがめんどくさくなってきたので、今後はAK女史とします)は、A県のM地方出身なんですが、どーもA県のN市に対して凄いライバル意識していて、何かとAK(ああ言えば状態のことです)になる。

 だったら、N市に住めばいいのに・・、

 それで、帰るときにはAK女史は玉川を泳いで渡るとか云っていたし、何だか危ない人だな・・・、皆さんも気を付けてくださいね、変に都会に憧れてでてくると、分けなのわからない発言をするようなって、周りの人たちは余計に田舎モノだな、なんて思うようになります。同じA県出身の僕としては、同じに見られると困るんだよね・・・。あ、ちなみに、昨今人気のK藤あいさんは僕の実家のすごい近くなんだよね、関係ないけど。

 AK女史も、その飲み屋で言い返す勢いでテニスのボレーをすれば、世界最強になれるのにな、伊達公子なんか目じゃないのに。
 


■2002-02/01(Fri)我がフリ直せ

 昨日のネタを思い出してみて自分にも似たような事はあったな・・と、人の振り見て我が振り直せ、でしたっけ?

 僕はニューヨークでしばらく暮らしていた割には、英語が間違ったまま覚えていたりする、ま、元々そんなに英語は得意ではなくて、最初ニューヨークに行くときなんか、飛行機の中で英語テストの一夜漬け状態だった。

 まず、入国に際して必要なフレーズ、そして、空港からホテル、ホテルで必要なセンテンス編、と言った風に状況別にA4の紙にバリバリ書き出して、それを持ちながら暮らしていました。

 それで、その紙がボロボロになる頃には、大丈夫になって周りの英語を聞いている内にサウンドで英語を話すようになって言ったような気がする。だから、20代の時にファッション誌などで外人モデルと話すと、挨拶の時点では、僕はネイティブと思ってくれた人は何人かいましたね(少々自慢です)。ま、その後、話していく内にボロがでてくるんだけどね・・・。

 それで、間違ったまま認識してしまったモノに、タクシー、英語でTaxiですよね、僕はずーっと、Taxyと書いていた、恥ずかしい、やってもうたッ。最近では、PC用語で解凍ソフトのlhaca、僕は「ラチャ」と呼んでいた。正しくは「ラカ」なんですね・・。

 あるある、先日のS氏ですが他には、これも又PC用語で、Norton Utilitiesってありますよね、一般的には、「ノートンユーティリティ」ですが、S氏は「ノートンユーすリティ」。

 明日、S氏に会うからもっとネタ探しておこうっと・・・。


■2002-01/31(Thu) 何だか気になってね・・・

 本当に日本の将来は大丈夫なのだろうか?本来なら田舎の小さな街の町会議員と町役場で繰り広げられているであろう事が、なんと国会と省庁で起きている。これで、良いのかな??

 そりや、大橋巨泉さんもあきれる。いった言わないの水掛け論だと、小泉さんは言ってるけど、NGOの代表やメンバーは何名もそれを聞いていて、メモにもとってある。充分に証拠として成立している。国会での答弁をニュースで見ただけでも、国民は気付いているよ。鈴木議員も民意だと言いながら、北海道に高速道路をつくって、利用者は料金が高いから通らない、と言っているのに、それは一部の人だと、もともと一部の人しか通らない道なんじゃないの・・・。

 何でしょうね・・・、つぶし合いですかね? 今、そんな事やっている暇ないよ、世間は。


 ま、いいや、気分転換に最近気になり出すとどうしても気になってしまう話題を一つ。

 僕の友人で同業者のS氏ですが、モノの読み方が一度決まってしまうとそのまま進行してしまうタイプの様。

 まず、最近のでは、「閲覧ソフト」いわゆるブラウザで「えつらんそふと」と呼びますよね。何と、彼はこれを「かんらんそふと」呼んでいました。で、「えつらん」じゃないの?と言うと一時的に直るのですが、先日、電話で「かんらん」と言ってました。

 それとか、写真器材で、三脚とかライトスタンド類をつくっているイタリアのManfrotto、日本語では、きっと「マンフロット」だと思う、まず、そうでしょう。これを、「まんふろんと」とS氏は呼んでいる。意識していると大丈夫なんだろうけど、フッと気が抜けると「まんふろんと」と呼んでるな。

 いかん、いかん、余り書くと小うるさいオッサンと言われてしまいそうなのでね、でも、こういうのって、何かボーッとした時に、気になり出しませんか?それとも気になるのは僕だけかな?

ま、このネタは他にもまだまだ有るんですね。今度何かの時に・・・。


■2002-01/29(Tue) ばんざーい、そして、これからが勝負。

何でも先日の自然健康系のウエブデザインのプレゼンに通ったようだ。結構、時間をかけたカイがあった。

 僕は元々人物やファッション系のフォトグラファーなので、どちらかというと腰を据えてじっくりと考えてはいられない、そんな事をしていたら、料理が冷めてしまうように撮影されるモデルさんやタレントさんのテンションもダウンしてしまいかねない。だから、極端に言えば、その場のテイストとパワーで撮影をするタイプだった。

 こういうと何だか単に勢いで撮影しているようだが、それは違う、撮影に至までに自己演出というか自分をそのテイストになるようにイメージトレーニングしてスタジオに入っていた。

 実際に、撮影に行くには車で行くのだが、あまり見ず知らずの人を同乗させる事はできない、僕の描いているテイストが凄く影響されてしまう事があるからだ。だから時としてクライアントの方でも別のロケバスとかで現地にいらしていただいた事が多々ある。

 イメージトレーニングというか自分をあるイメージの海の中にスッと入っていく、そう言った事が今制作しているウエブデザインでも重要だと思う。

 今回の自然健康系のウエブデザインには、自分なりにはかなりの時間と労力をかけてイメージングしたつもりだったので、僕の意図した方のデザインが通って、凄く嬉しい。

 しかし、ここからサイト全体を、テイスト付けて行く事はもっと重要だ。しっかりとしたユーザーさんへのイメージやクライアントさんが描く商品イメージを自分でつかむ事ができるか、ここにかかっている。

 それなのに今かかっている別のあるサイトは、ここ何ヶ月もかかっているのに、殆ど進行しない、原稿も来なくて、あけたままデザインを進めているため、僕はすごーく苦労している。きっと、先方はそんな事気にしてないんだろうな・・・。

 過去にそう言うクライアントさんいましたね、結局、先方が原稿書けませんだって、で、原稿は別料金ですよ、で、じゃ結構です(サイト制作をいらないと言う意味)、でも、簡単な契約をしていたので、全額頂きました。

 本当、前も書いたけど、これは間違いなく制作進行を管理する人間とか、編集者が必要だよね、しかも優秀な編集者がね、で、実際に沢山、いるけどな(存在していると言う意味です)・・・。


■2002-01/27(Sun)飲み屋のハードヒッターYさん

 しかし、強力な人間って確実にいるね、しかもスーパーなパワーな持った人たち、僕の短い人生のなかでも何人かはいる。

 一般の方、この僕達の業界以外の方が知らずに遭遇したらビックリしますよ、本当に。先日もその中の一人、元MビルからシンクタンクのMにいって、この度会社を興されたYさん、凄すぎますよ。ある二子玉川お店で待ち合わせをして、もともと彼の上司であるMビルのSさんと中華をやっていたのですが、お店の自動ドアが開いた瞬間から挙列なオーラを発して、首をグイグイさせて、僕達のテーブルに来ましたモンね。その間、お店にいたギャラリーは彼に釘付けですよ、本当に、動けませんね。

 これで、"つかみはOK" そのお店にいらした方なら、彼の事を一生まず忘れなだろうな。

 本当に一般の社会人にしておくのはもったいないくらいの人材ですが、ま、今、企業の代表取締役と言う事で、一般の社会人からは逸脱しているので大丈夫でしょう。

 その日は、彼を含めて5人で激しく盛り上がったのですが、もしかしたら盛り上がっていたのは、S氏Y氏と僕だけかもしれない、僕はかなり笑わせていただいた。ま、そんなこんだで、かなりの時間騒ぎました。で、全員でまとまったのは、2月にハードコートでテニスしましょう。これだけですね、あの激しく騒いだ時間何だったんでしょうね?

 そんな彼の激しいリズムでもまれたせいか、翌日のテニスは上手い具合に力が抜けて良い感じにできました。そんなに疲労する事もなく、ボールに集中できました。Yさんありがとう。

 僕が今までに出会った方々で、Yさんの様なパワーを持ったスーパーな人ですと、iとうせいこうさんやH報堂のIさんとかCB銀行のIさんかな?彼らのネタとか話を書き出すと、本になるだろうな。で、この4人の共通点は・・・? ん、声がでかい、これかな??

 


■2002-01/17(Thu) ブリリアントな大人をめざして

 刺激的ですよ・・、先日、久しぶりにクラブに行きました。何店かを行き来できる企画イベントだった。僕はテクノ系、トランス系ですね。でも、盛り上がって居たのはヒップホップ系、激しい混み具合だった。ただ、何故か男性ばかりだった。余り女の子は夜遊びしないのかな?それとも、この手のクラブにはいい男は来ないと読まれてしまったのかな?

 こういったクラブは、世代は変わったはずのに雰囲気は余り変わらないな・・、えらーく安物のドリンクに混み合った空気感。でも、何だろ、凄く違和感がある。僕が世代的に浮いているとかではなくて・・。

 大人が居ない。ここは子供の集まる場所なんだ。ニューヨークのクラブには大人がいた。結構な年の大人が夜な夜な遊びに来ていた。エンターテイメントな空間には必ず大人達がいて、その大人達が格好良かった。

 僕は思うけど、やはり、スポーツカーに大人が乗って、それが絵になる様であれば、その国は成熟している。ニューヨークでは、大人達がスポーツカーに乗って格好良かった。絵になっていた。若者が乗っても絵にならない。この事を周りの人間もわかっていて、子供にはスポーツカーを買い与えたりしない。

 ニューヨークが正しいとは言わないけど、大人達が光っているのは事実だな、速く何とかして日本も大人達が遊んでいて格好いい、そんな国にならないかな?

 だったら、お前が格好良くなれば良いじゃん、ん、そうなんだけどね。


■2002-01/15(Tue) 飲み過ぎな日々とこの業界

 凄く遅くなってしまったけど、明けましておめでとうございます。

 しかし、飲み過ぎましたね、それを解消するために今年になってから、トレーニングに3回、テニスを2回、とやる事はやっているので、ま、一安心と考えております。

 お正月は、毎年思うのですが、かなりの自由な時間ができるわけですので、この時期にゆっくりと普段読む事ができなかった本を読むとか、何日か集中して文章を書いてみるとか、いろいろな可能性があってワクワクするのですが、現実には、アッというまに終わってしまって、結局は飲み会とか仕事の続きでスケジュールは一杯になってしまう。

 今年になってからウエブサイトの制作を3件ほど頂いて、とてもワクワクした日々を送っております。もっともっと人に伝わるウエブサイトを創っていきたいと思っている。デザイン的にもそうだけど、構成というか内容とかも、感じられる内容にしていきたい。この業界には、あまり、編集者というのが存在していないようなのだが、僕は絶対的に編集者が必要だと思う。プログラムの事からサーバの事から、ある種プレゼンテーションまでも、わかっている人材がもっともっと必要だと思う。

 しかし、現実にはインターネットのウエブサイト制作業界は、あまりにお粗末。こう言うと同業者からお叱りを受けるかもしれないけど、業界の皆さん胸に手を当ててみて思い当たる事があるはず・・・、そして、もっと問題なのは、何ら思い当たらない人。そう、あんたが一番問題。キャッチボールができたからと行ってプロ野球では通用しないのは、幼稚園児でも知っている。

 出版不況と言われている昨今、出版社の有能な編集者をはじめとする人材が、こちらのウエブサイト制作業界にもっともっと流れてきてくれるとベストに思う。デジタルもアナログも余り関係ないと思うけど、僕達の年代はすぐにデジタルはわからないという。

 本当にここらで、業界も真剣に本物志向していかないといけない、そう強く感じる2002年です。そうだ、先日、M田聖子さんと飲みました。今度、ウエブサイト創らせて頂くかもしない・・・。


■2001-12/26(Wed)初台のオペラシティ

 昨夜、音楽プロデューサ協会事務局長の首藤明彦氏のご招待で、彼のプロデュースにより「中島啓江」クリスマスオペラコンサートにお邪魔してきた。

 日本人のオペラ歌手の歌を生で聴いたのは、初めてかもしれない。しかも、あれほどに良い席を聴いたのも初めてで首藤氏に感謝です。僕が自分でチケットを買っていくときは、ニューヨークだと、安売りチケットに並んで、その中でも出モノを探して買っていた。

 やはり、一階席で聴くと全く違うな・・・、降り注いでくる音と直進してくる音が、共鳴しあっていた。しかも、オペラシティで、桑田佳祐の曲が聞けるとは思っても見なかった。すごーーく、良かった。

 で、思ったんだけど、中島啓江さんって、あんなに大きかったっけ?ホンジャマカの石塚さんよりも、大きいよ、本当に。 


■2001-12/18(Tue) 森田童子

 森田童子の音楽を聴いてみた、一時ドラマのテーマに使われてヒットしたあの曲だ。実は、僕は森田童子はアナログレコードの頃から聞いていた。つまり、ドラマに使われるよりも、かなり以前から聴いていた。

 くらいヤツだ、と思われても仕方がないが、僕の高校時代に聴いていたのは、他には小椋桂だから、確かにくらいのかもしれない。でも、この独特な言葉回しみたいなのが凄く好きだった。教科書には絶対になくて好きだった。

 早速、MP3化してプレーヤに入れて持ち歩こうと思う、ディスクの空いたところにはオペラのアンドレアボヂェリとサチブライトマンの"Time to say Good Bye"を入れよう。


■2001-12/17(Mon)おめでとうの嵐

またまた、おめでとうの首藤明彦氏。

 この僕のサイトでも、コラムを書いてくれている音楽プロデューサの首藤明彦氏が、何でも音楽プロデューサ協会の事務局長に選ばれたそうな・・・、何だかすごいな、これから気安く呼びにくくなっていく様で困りますね。僕の周り、そんな人ばっかりで嬉しいンだけど、どうして良いのか困ってしまう。

 とにかく本当におめでとう、それで、業務連絡、木曜日の「首藤氏おめでとう」の集まりですが、僕達は先にやってますので、遅くなってもいらして下さいね。首藤の会社のK女史を人質にして飲んでます。K女史は元劇団S季で、噂では何かと芸達者のようですので、お座敷を暖めて頂こうと思います。


■2001-12/17(Mon) 楽しかった池袋

 衝撃だったな・・・、某Vスクールの講義が最後だったので、なんとなくロビーに残っていた受講生の人たちと食事に行った。なんと、その中の一人の父親と僕は同じ年だった。

 ついに来る日が来たと言う感じだ。以前、沖縄系ミュージシャンのCさんのお母さんが同じ年でビックリしたけど、ついに今回はお父さんだからね・・・。

 で、いろいろと話してみて思ったのは、時代はこれだけ流れても、人間自体はそれほど変わっていないのでは?難しいところだけど、ベースの部分で悩んだり、ドキドキしたり、する部分は、僕の時代とそれほど変わっていない印象を受けた。

 それほど、世間で言うほどドライでも、なく、人としての部分では何だか年の近い友人の様な感すら受けた。

 今の若いモノは・・、なんて全く思わない、自分を振り返ると当時の自分と同じ息づかいの人たちが目の前で悩んでいる、そんな感じだ。本当はもっと彼らを楽な方向への動かすエッセンスを伝えることができれば、僕としても良かったと反省している。

 今、激しくサイト制作している、クライアントからの原稿が殆ど上がってこない、これは今年の春にも同じ状況があったな・・・、で、二の舞にならないように、撲が原稿をラフに書いている。別料金もらわなきゃ。


■2001-12/15(Sat)これが証拠?

 話を又真面目な方に戻すけど、同時多発テロのビンラディンの証拠とされるビデオだけど、変じゃないですか?

 アメリカは当初、ビンラディンが犯人である確固たる証拠があるとして、彼を犯人として追いつめてきた。日本の小泉首相も、そのアメリカの提示する証拠をみて、ビンラディンが犯人であると確信して現在の行動を起こしている。

 しかし、ビンラディンが犯人とする証拠が、今更、11月の後半に発見されたビデオ。その前に、アメリカは彼が犯人と確定した証拠をまず世界に提示すべきではないのだろうか?

 かなり譲って、ビンラディンが犯人としても、アフガニスタンに人たちには何も罪はないのに、家を追われて爆弾の嵐。全く関係のない人々も多くなくなっていて、これって見方を変えれば、テロじゃないの?

いろいろな事が拗れに拗れていってしまっているようだ。その前に、自分の部屋を片づけなければな・・・、今、やっていて、とても大変。


■2001-12/14(Fri)目指せ"正統派忘年会"

テニス仲間で忘年会をすることになった、今年は、別グループの人も多く参加してくれるようで、今までになく大勢で盛り上がりそうである。今までは青山の和食屋さんで、そこは、お袋の気持ちを忘れない男達のお店、というか、心は女の人たちがやっている和食屋さんで忘年会をしていたが、今年は正統派な忘年会になりそうだ。

 青山の和食屋さんは、とても楽しいお店で、テニスのお友だち(ダブルスのペアもしていだいた)のO氏の結婚式の二次会(結婚式とは別の日に)で、行って、これがメチャクチャ可笑しくて、未だに語り継がれている。ま、そもそも、結婚式の二次会で行くというのも、何だかお店に挑戦状をたたき付けたような感じで、お店も「受けて立とう」的な男っぽさが良かったな・・・。

 んー、こうやって書いているとやはり、忘年会はあの和食屋さんかな??なんて思えてきてしまいます。ま、でも、今回は10名以上になりそうなので、某居酒屋チェーンにお世話になろうかな??

 安いしね・・・、こんな時代だし・・・・、

 そうだ、これを読まれた方で、テニス友達の忘年会に参加希望の方(いないか??)は、僕にメール下さい。飲んで楽しい方でしたら参加可能です。


■2001-12/12(Wed) 緊急な"おめでとう"

 僕のサイトでもコラムを書いてくれている首藤氏が音楽の友社の「音楽年鑑」にやっと掲載されることとなった。もう一度書くけどやっとだ、これは別に首藤氏を攻めているのではなく、あれほどケイジャンミュージックやジャズについて雑誌に書いたりしてきて、今まで掲載されなかったのが、少々不思議だ。

 ま、世間にはやくざな音楽ライターというのは掃いて捨てるほど居るのはみなさんご存じの事と思いますが、音楽の友社の音楽年鑑に掲載されると言うのは、岩波正三先生や油井正一先生、といった(ジャズ系の方々ですが・・)方々と同じ土俵に立った訳ですね。

 つまり、首藤氏はヤクザな評論家ではない、と認められた訳でおめでたい。しかし、一つ年鑑掲載の先輩として言っておくと、僕もWEB年鑑に掲載されたけど、特に大きく何も変わっていないぞ、ま、何かの時に、あのカワハラさんですか・・、的な事を言われるのと、そうだな、インターネット系でプレゼンしませんか?といったメールが知らないところから頂くようになった、くらいかな・・・。

 結構、これでも状況変わったのかな??


■2001-12/10(Mon)短命な講師生活

 以前ここでもお話ししました某Vスクールですが、何とか授業になってきたのですが、どーも内容を分かりやすくして欲しいとのリクエストがあった。

 正直いって現状では、撮影の際のシャッターはどれ?絞りってどこ?のレベルなので、ピントをどうやってあわせるの?といった質問が出てくるレベルの人たちが一部にいて、本気で写真について学んだり感じたい、と真剣に思っている人たちに申し訳なく思っていた。

 それで、僕は、もう、そんな甘えた人たちにではなく、真剣な眼差しの人たちに向けて授業を進めていこうと思っていた矢先の、「分かりやすくして欲しいリクエスト」だ。これ以上分かりやすくとなると、ビックカメラやヨドバシカメラの店員さんが授業をした方がベストのように思える。カメラの使い方教室は、街のカメラ教室の方が安くて親切であることは間違いないだろう。

 それで、僕の結論としては、これ以上レベルを落として授業をする事は僕にはできない。その旨、学校の方には既に伝えたので、代わりの講師の方が見つかるまでの授業となった。

 なんと短命な授業なのだろう、去年までは、約二つのクラスで講義をしてきて、それなりに写真に興味持ってくれたり、実際のプロの撮影の現場についての認識を持ってくれたと僕は確信している。

 ま、これも神様が、もっと自分が学ばなければならい、ということを気づかせてくれているような気がする。そう、自分が学んで前に進んでいかないことには何も始まらない。 


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